日本初 ロケット火薬実験の地 記念碑
2015年建立
日本の宇宙開発の第一歩として挙げられるのは、1955年(昭和30年)4月12日に東京都国分寺市で公開試射された糸川英夫博士のペンシル・ロケットだが、このロケットの燃料に結実する火薬を提供したのが固体燃料ロケット研究の第一人者である村田勉博士である。博士は東京帝国大学工学部卒業後、海軍技術士官となり、海軍平塚火薬廠の研究部でロケット開発に従事。
その火薬の開発実験が、1934(昭和9年)横須賀海軍砲術学校辻堂演習場であった汐見台でおこなわれ、さらに終戦までに茅ヶ崎海岸一帯に拡大されていた。「ロケットに関わる記念碑は全国に幾多とあるけど、村田先生の、茅ケ崎の碑がその中でも一番古いものでしょう」と糸川博士の弟子の的川泰宣・宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授が仰っている。
この地に住まいがあった加山雄三氏の記憶では、終戦直前、ご自宅の前の海岸に「ロケット研究所の発射試験場」があったと言っており、そこに勤務していた人の証言もある。
土井隆雄・野口聡一両宇宙飛行士を輩出したこの地が、日本の宇宙への挑戦の曙に深く関わっていたことを多くの人に知っていただき後世に伝えるために、『日本初ロケット火薬実験の地』の記念碑を募金にて建立。記念地が海岸一帯におよぶことから、汐見台と加山雄三通り前海岸の2か所に建立し、碑の足元には憩いのベンチも設置。
ヘッドランドの記念碑
汐見台の記念碑