1904(明治37年)~1988(昭和63年)
まち・ひと・茅ヶ崎の煌き
時代別リスト
- 古墳時代
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- 日本武尊
- 奈良時代
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- 高座官衙遺跡
- 七堂伽藍跡
- 鎌倉時代
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- 源 頼朝
- 室町時代
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- 藤間家
- 江戸時代
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- 大岡越前守忠相
- 佐々木 卯之助
- 歌川 広重
- 明治時代
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- 岩倉 具視
- 九代目市川 團十郎
- 高田 畊安
- 川上 音二郎
- 川上 貞奴
- 国木田 独歩
- 添田 唖蝉坊
- ルドルフ・ラチエン
- 萬 鐵五郎
- 浜降祭
- 大正時代
-
- 平塚 らいてう
- 速水 御舟
- 八木 重吉
- 友田 恭助
- 大岡越前祭
- 昭和
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- 原 安三郎
- 山田 耕筰
- 小山 敬三
- 小津 安二郎
- イサム ノグチ
- 上原 謙
- 三橋 兄弟治
- ピストン堀口
- 井上 有一
- 林 主税
- 牧野 邦夫
- 城山 三郎
- 高橋 治
- 開高 健
- 中村 八大
- 永 六輔
- 加山 雄三
- 平尾 昌晃
- 加瀬 邦彦
- 尾崎 紀世彦
- 森田 芳光
- 土井 隆雄
- パシフィックパーク茅ヶ崎
- 野口 聡一
- 姉妹都市とゆかりのまち
- 平成
-
- 湘南祭
- 茅ヶ崎アロハマーケット
- 日本初ロケット火薬実験の地 記念碑
- 民話
-
- かっぱどっくり
- 八大龍王神
50音順リスト
- あ行
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- イサム ノグチ
- 九代目市川 團十郎
- 井上 有一
- 岩倉 具視
- 上原 謙
- 歌川 広重
- 永 六輔
- 大岡越前祭
- 大岡越前守忠相
- 尾崎 紀世彦
- 小津 安二郎
- か行
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- 開高 健
- 加瀬 邦彦
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- 小山 敬三
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- 高橋 治
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- 野口 聡一
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- 三橋 兄弟治
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- 民話
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あ
少年期を茅ヶ崎で過ごした彫刻家、造形家などきわめてユニークな芸術家
日本名:野口 勇、アメリカ・ロサンゼルスで、英詩人、小説家、評論家、俳句研究者である父野口米次郎、作家、教師、およびジャーナリストである母レオニー・ギルモア(アメリカ人)の子として生を受ける。彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家・作庭家…【詳しく見る】
(いちかわだんじゅうろう)
1838(天保9年)~1903(明治36年)
歌舞伎に対して偉大な業績を称えられ「劇聖」とうたわれた
明治時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は成田屋。本名は堀越秀(ほりこしひでし)。五代目尾上菊五郎、初代市川左団次と共に、いわゆる「團菊左時代」を築いた。写真的な演出や史実にもとづいて歌舞伎の近代化をはかる一方、伝統的な江戸歌舞伎の…【詳しく見る】
(いのうえゆういち)
1916(大正5年)~1985(昭和60年)
世界的に有名な型破りの書家
東京の下谷に育つ。父は古道具屋を40年やっていた。美術学校に行きたかったが、月謝がいらなくて早く給料を貰えるからと、東京府青山師範学校に進む。
1935年、本所区横川尋常小学校の教員となる…【詳しく見る】
(いわくらともみ)
1825(文政8年)~1883(明治16年)
500円札に印刷された明治の元勲 玄孫に加山雄三
茅ヶ崎に別荘を構えた。
明治時代から避暑地として別荘の所有が経済界に流行し、市川團十郎ら芸能人や伊藤博文らの政治家が湘南エリアに別荘を所有したのには、この影響もあると考える…【詳しく見る】
(うえはらけん)
1909(明治42年)~1991年(平成3年)
加山雄三の父 日本映画界を代表する二枚目スター
壇の浦の戦いに敗れ、鹿児島に安住の地を求めた平家一族が上原謙の祖先である。本名は池端清亮(きよあき)。
父は池端清武(きよたけ)。代々平清盛の清の一文字を継いでいる。池端家は鹿児島で800年引き継がれている由緒ある…【詳しく見る】
(うたがわひろしげ)
1797年(寛政9年)~1858年(安政5年)
茅ヶ崎市南湖「東海道の左富士」を描いた東海道五十三次の浮世絵師
東海道五十三次を発表した江戸時代の浮世絵師である。
本名を安藤重右衛門といい、江戸の浮世絵最大勢力・歌川派の門人となり、歌川広重と号した。ゴッホやモネ等の画家に、のちに多大な影響を与え、世界的に著名な画家となる…【詳しく見る】
(えいろくすけ)
1933(昭和8年)~2016(平成28年)
放送作家 随筆家 作詞家
タレント等マルチに活躍した「上を向いて歩こう」の作詞者
自称ラジオ放送作家。角刈りと面長の顔がトレードマーク。
東京・浅草の最尊寺住職の息子として生を受ける。学童疎開により長野県へ移り、終戦後、長野県立上田中学校(旧制)から…【詳しく見る】
(おおおかえちぜんさい)
四月に開催される茅ヶ崎4大祭りのひとつ
1913(大正元)年~ ※戦災や関東大震災等で一時中断あり
茅ヶ崎のビックイベントである大岡越前祭。
毎年四月中旬ごろに実施され、多くのにぎわいを見せる、春真っ盛りを飾るイベントである…【詳しく見る】
(おおおかただすけ)
1677(延宝5年)~1751(宝暦元年)
江戸南町奉行
旗本の家に生まれる。活躍した年代は、徳川八代将軍吉宗(1684年~1751年)と重なる。大岡忠相が没したのは吉宗より半年後であった。
出生地は江戸、後年1万石の大名となり西大平藩(現在の愛知県岡崎市)初代藩主となった。この時代の所領は…【詳しく見る】
(おざききよひこ)
1943(昭和18年)~2012(平成24年)
日本レコード大賞歌手 「また逢う日まで」
東京都渋谷区に生まれ、父、尾崎繁(芸名:藤田繁)と兄、彰彦はクラシック・バレエのダンサー・演出家。母、礼子はショーダンサー。日劇ダンシングチームの一期生である。男三人兄弟の次男で、父方の祖父はイギリス人。1949(昭和24年)に茅ヶ崎市に引っ越す…【詳しく見る】
(おづやすじろう)
1903(明治36年)~1963(昭和38年)
映画監督 映画人として初の日本芸術院会員
「永遠に通じるものこそ常に新しい」
「テストと本番を同じように出来る人こそ名優だ」
「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」等の名言を残し…【詳しく見る】
か
(かいこうたけし)
1930(昭和5年)~1989(平成元年)
小説家 芥川賞選考委員 ”花わらい鳥うたい人は酔う”
開高健は壽屋(現サントリー)宣伝部と、死地から生還と言われたベトナム戦争従軍体験という二つの大きな人生の節目を経験した。純文学やノンフィクション作家、そして後半の釣り紀行等により、数々の名著名言を残し、大きな評価を得ている…【詳しく見る】
(かせくにひこ)
1941(昭和16年)~2015(平成27年)
ミュージシャン・作曲家・音楽プロデューサー
ザ・ワイルドワンズのリーダー ヒット曲 想い出の渚
東京府(現東京都)生まれ。1957年11月、慶應義塾高等学校1年生の時、東京都から茅ヶ崎市に移住したが、これが縁で同年12月23日にアメフト部の先輩の紹介に…【詳しく見る】
(かやまゆうぞう)
1937(昭和12年)~
永遠の若大将 茅ヶ崎市民栄誉賞
本名・池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは若大将。作曲家としてのペンネームは弾厚作。
父は俳優の上原謙、母は女優の小桜葉子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である…【詳しく見る】
(かわかみおとじろう)
1864(文久4年)~1911(明治44年)
近代演劇の創始者
明治期の俳優川上音二郎の奇想天外の生涯は短くとも通常の人間の何倍分にもあたるだろう。近代日本を創成したのは維新の元勲たちだけではない。社会の底辺に登場した若者たちが果敢に新分野を開拓した。博多の一商人の倅音二郎も近代演劇という…【詳しく見る】
(かわかみさだやっこ)
1871(明治4年)~1946(昭和21年)
日本近代女優第一号 1985(昭和60年)NHK大河ドラマ「春の波涛」主人公
東京日本橋の両替商「越後屋」の生まれ。生家の没落により7歳の時、芸妓置屋の女将「浜田屋」の養女となる。この時に貞奴を襲名、芸妓としてお座敷にあがる。本名は貞、伊藤博文が貞奴と名付けたと言われている。日本舞踊他芸能に優れた素質に…【詳しく見る】
(くにきだどっぽ)
1871(明治4年)~1908(明治41年)
明治の文豪
千葉県銚子生まれ。
父国木田専八は旧龍野藩(現兵庫県たつの市)の藩士で、榎本武揚(たけあき)ひきいる旧幕府軍討伐後に千葉県銚子沖で船が難破し、吉野家という旅籠でしばらく療養していた…【詳しく見る】
(こやまけいぞう)
1897(明治30年)~1987(昭和62年)
気韻生動の画家 文化勲章受賞 名誉市民
なぜ、茅ヶ崎に住んでいたのか・茅ヶ崎とのご縁
茅ヶ崎市市民会館大ホールの大緞帳は「浜降祭」(55年完成)で、小山敬三が絵を描き織元にも出向き制作した。小山敬三は長野県小諸の出身である。母、梅路が喘息のため…【詳しく見る】
さ
(ささきうのすけ)
1795(寛政7年)~1876(明治9年)
江戸幕府の大筒役
佐々木伝左衛門の子として生まれた卯之助は、1824(文政7年)、29歳の時に江戸幕府の相州炮術調練所の責任者として、幕府大筒役となった。当時茅ヶ崎の海岸は幕府による天領とされていて、鉄炮方役人の銃術鍛錬の場として茅ヶ崎柳島村から藤沢の片瀬までの…【詳しく見る】
(しちどうがらんあと)
7~9世紀
高座郡衙(たかくらぐんが)(当時の役所)に附随する大きな寺院跡
古代の茅ヶ崎の中心地は、現在の市域の北部である下寺尾の周辺にあった。それは、茅ヶ崎というよりはもっと広域の高座郡(たかくらぐん)の中心であった。現在の綾瀬、海老名、相模原、座間、茅ヶ崎、藤沢あたりを言う相模国8郡の内の一つの…【詳しく見る】
(しまいとしとゆかりのまち)
姉妹都市 ハワイ州 ホノルル市・郡/ゆかりのまち 愛知県岡崎市
アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある都市。同州最大の都市かつ州都である。
かつてはハワイ王国の首都が置かれていたこともあるハワイ州およびオアフ島最大の都市で、同州およびアメリカの…【詳しく見る】
(しょうなんさい)
1994(平成6年)4月~
湘南地区最大級のビーチイベント
毎年5月の大型連休に近い日程で開催される茅ヶ崎4大イベントの一つ
大岡越前祭の一環として、1994年4月に記念すべき第一回が開催され、毎年大岡越前祭の翌週となる4月の最終土曜日・日曜日に概ね開催されている…【詳しく見る】
(しろやまさぶろう)
1927(昭和2年)~2007(平成19年)
作家 「経済小説 総会屋錦城」で直木賞 「落日燃ゆ」で吉川英治賞
本名は杉浦英一
名古屋市にて生まれた。名古屋商業学校を経て現在の名古屋工業大学に入学。徴兵猶予の理工系学生であるにもかかわらず、大日本帝国海軍に志願入隊したが、訓練中に終戦となった…【詳しく見る】
(そえだあぜんぼう)
1872(明治5年)~1944(昭和19年)
演歌師 シンガーソングライター 流行歌の元祖
神奈川県大磯生まれ。本名平吉。1890(明治23年)、壮士節(明治の自由民権運動の活動家の歌う街頭演歌)に影響を受ける。当時、自由民権派の演説会は明治新政府により弾圧を受けており、仕方なく街頭で演説に代わる演歌を歌い世に訴えたのである…【詳しく見る】
た
(とうまけ)
市指定史跡・国登録有形文化財の近世商家
藤間家の過去帳には「先祖の初代は1466年」とあり室町時代中期とある。藤間家は農業と廻船業を営んでおり田畑六反余、石高三石四斗三升余。室町時代から柳島湊を根拠地として相模湾周辺で廻船を運行していた。江戸時代には相模国一帯の年貢米を…【詳しく見る】
(たかくらかんがいせき)
古代(7世紀~9世紀)の役所跡
古代の律令制によって茅ヶ崎市は相模国高座郡(たかくらぐん)の中心であったのであろう。相模国の国府は海老名・大磯・平塚説など有るが、時代とともに変遷したと考えられる。相模国は8郡に分かれていて、その中の一つが高座郡(たかくらぐん)で…【詳しく見る】
(たかたこうあん)
1861(文久元年)~1945(昭和20年)
東洋一のサナトリウム南湖院(なんこいん)の開設者
京都府舞鶴市に藩士の子として生まれる。京都医学校の後、東京帝大医学部を卒業したのは1889(明治22年)28才のときである。E.ベルツの助手として帝大に残るが、肺結核にかかり辞職。全治後、1896(明治29年)、東京神田駿河台に東洋内科医院開設…【詳しく見る】
(たかはしおさむ)
1929(昭和4年)~2015(平成27年)
小説家 劇作家 映画監督
千葉県千葉市出身。旧制第四高等学校卒。東京大学文学部国文科卒業。1953(昭和28年) 松竹に助監督として入社(同期に篠田正浩、また同年代に山田洋次や大島渚がいた)。同年、新人助監督として、小津安二郎監督の代表作「東京物語」に係わる…【詳しく見る】
2004(平成16年)~
毎年5月に開催のハワイアンイベント
茅ヶ崎商工会議所の「茅ヶ崎アロハ委員会」では2003(平成15年)6月25日、夏の端境期にアロハシャツ着用により当市の商業・観光活性化につなげ、「窓を開け、風を感じる」エアコンの利用を控え、環境にやさしい街を目指し、茅ヶ崎アロハ事業をスタートさせた…【詳しく見る】
(どいたかお)
1954(昭和29年)~
宇宙飛行士
東京都南多摩郡(現・町田市)生まれ。 1973年大阪府立三国丘高等学校を卒業。 1983年東京大学大学院工学部博士課程を修了 。文部省宇宙科学研究所、NASAルイス研究所を経て、1985年 毛利衛、向井千秋さんとともに宇宙飛行士(搭乗科学技術者)に選ばれる…【詳しく見る】
(ともだきょうすけ)
1899(明治32年)~1937(大正12年)
新劇俳優 少年期の芝居小屋南湖座から文学座創立期の一人
伴田の坂(ともだのさか)は平坦な南湖では高台である。海抜9mで、坂の上からは二子山や富士山、大山が見渡される。一帯は丸い石垣で囲まれた別荘である。近辺に続く石垣は別荘の名残を示すものである。別荘の跡地には、現在マンションが建っているが…【詳しく見る】
な
(なかむらはちだい)
1931(昭和6年)~1992(平成4年)
「上を向いて歩こう」や「茅ヶ崎市歌」を作曲した作曲家
中国・青島に生まれる。昭和15年ピアノを始め、小学校四年生の時、一人で東京へ音楽留学する。青島から門司まで船で2泊3日。門司から東京へは汽車で1泊2日。たった小学校4年生の旅である。
東京では、東京音楽学校(現・東京芸術大学)…【詳しく見る】
2015年建立
日本の宇宙開発の第一歩として挙げられるのは、1955年(昭和30年)4月12日に東京都国分寺市で公開試射された糸川英夫博士のペンシル・ロケットだが、このロケットの燃料に結実する火薬を提供したのが固体燃料ロケット研究の第一人者である村田勉博士である。博士は東京帝国大学工学部卒業後、海軍技術士官となり、海軍平塚火薬廠…【詳しく見る】
(のぐちそういち)
1965(昭和40年)~
日本人宇宙飛行士
「夢を実現するチャンスは誰にもある。その日のために、自分にしかできない役割(オンリーワン)を見つけよう」
神奈川県横浜市に生まれ。兵庫県揖保郡太子町斑鳩小学校5年時まで在学。茅ヶ崎市立浜須賀小学校…【詳しく見る】
は
1965年(昭和40年)~1988年(昭和63年)~
懐かしのリゾートホテル
「パシフィックホテル」とか「パーク」とも呼ばれるが正式名称は「パシフィックホテル茅ヶ崎」。
1965年(昭和40年) 湘南海岸 国道134号線沿いに、俳優の上原謙、加山雄三、小桜葉子(本名:岩倉具子)の弟…【詳しく見る】
(はちだいりゅうおうじん)
(はまおりさい)
海の日の暁に行われる勇壮なお祭り
寒川町・茅ヶ崎市内の各神社から40基ほどのみこしが茅ヶ崎西浜海岸に集結。
昭和53年、神奈川県無形民俗文化財指定。
朝日に染まる富士山、青い空、白い雲…【詳しく見る】
(はやしちから)
1922(大正11年)~2010(平成22年)
日本の真空産業を築いた「真空の父」
東京生まれ。父親の都合で小、中、高等学校は台湾。1942(昭和17年)東京大学理学部物理学科入学。1944(昭和19年)年海軍士官として愛知県の豊川海軍工廠に赴く。戦後、大手光学メーカーに就職したが、1日で辞めた。「夕食後、同じ寮の社員が愚痴や雑談ばかりで…【詳しく見る】
(はやみぎょしゅう)
1894(明治27年)~1935(昭和10年)
日本画家 作品炎舞と銘樹散椿は国の重要文化財
南湖の小山敬三の自宅の東側には、日本画家速水御舟の別荘があった。茅ヶ崎ではほとんど見られなくなった貴重な松林の中に速水御舟のアトリエが東京恵比寿から移築されました。ここに住む孫の速水夏彦氏(陶芸家)によって保存されている…【詳しく見る】
(はらやすさぶろう)
1884(明治17年)~1982(昭和57年)
大正・昭和期 長寿の実業家 日本化薬会長
会社更生の名医 高砂緑地に別荘
徳島県徳島市出身 明治42年 早稲田大学商科卒
大正5年 日本火薬製造株式会社(昭和18年民間爆薬製造会社日本火薬製造が帝国染料製造と…【詳しく見る】
(ぴすとんほりぐち)
1914(大正3年)~1950(昭和25年)
拳聖 拳闘こそわが命
本名:堀口恒男。元日本フェザー級、東洋フェザー級、日本ミドル級チャンピオン。
戦歴は176戦138勝(82KO)24敗12引分け。
警察署長の子として栃木県真岡市で生まれる…【詳しく見る】
(ひらおまさあき)
1937(昭和12年)~2017(平成29年)
作曲家 歌手
東京市の牛込(現東京都新宿区)生まれであるが、戦後、茅ヶ崎に移住し、湘南学園で小中学時代を送る。茅ヶ崎市に住み、ジャズ教室に通い、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山らと知り合う。慶應義塾高等学校中退後、ウエスタンの人気バンド…【詳しく見る】
(ひらつからいてう)
1886(明治19年)~1971(昭和46年)
”元始、女性は太陽であった”男女同権主義・平和運動のパイオニア
東京千代田区に生まれ、本名は平塚明(はる)1906年(明治39年)日本女子大学家政学部卒業。在学中には大同生命創立者の一人でNHK連続テレビ小説2015年「あさが来た」の主人公実名広岡浅子と出会っている。
平塚らいてうの父は、平塚定二郎。関ヶ原の戦いで…【詳しく見る】
ま
(まきのくにお)
1925(大正14年)~1986年(昭和61年)
東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ。
1929年母を亡くし、小田原市で幼年期をすごす。小田原場内小学校入学。小田原教会へ通う。牧野家は旧小田原藩士の家柄で曾祖父作兵衛英清は12代目を継承している。
1935年父を亡くし姉に育てられた…【詳しく見る】
(みつはしいとじ)
1911(明治44年)~1996(平成8年)
水彩画で新技法 水彩連盟初代理事長
6人兄弟の長男として高座郡茅ヶ崎町南湖に生まれる。
茅ヶ崎尋常高等小学校(現・茅ヶ崎小学校)4年生のときに描いた月見草の写生を担任教師に誉められたことをきっかけに絵を描く喜びにめざめた。
兄弟治は、恵泉幼稚園機関紙…【詳しく見る】
(みなもとのよりとも)
1147年~1199年
「いい国つくろう鎌倉幕府」
初めて、武士による政権である鎌倉幕府を作った。
平治の乱で伊豆・蛭が小島に流されていた源頼朝が、1180(冶承4年)に平氏の打倒を目指して伊豆韮山で挙兵。全国を統一し、征夷大将軍となる。妻は北条政子。弟は、弁慶を従えた源義経…【詳しく見る】
(もりたよしみつ)
1950(昭和25年)~2011(平成23年)
映画監督 脚本家 『失楽園』で日本アカデミー賞優秀監督賞
1891年に『の・ようなもの』で、長編映画監督デビュー。以降、シリアスなドラマから喜劇、恋愛映画、ミステリアス映画と幅広いテーマを意欲的に取り扱い、話題作を数多く発表する。
母親の実家のある茅ヶ崎に生まれ…【詳しく見る】
や
(やぎじゅうきち)
1898(明治31年)~1927(昭和2年)
詩人
東京府南多摩郡堺村(現在の東京都町田市相原町)に生まれる。
神奈川県師範学校予科(現在の横浜国立大学)を経て東京高等師範学校の英語科を卒業。英語教員を長年務めた。
この神奈川県師範学校在学時より…【詳しく見る】
(やまだこうさく)
1886(明治19年)~1965(昭和40年)
作曲家 童謡「赤とんぼ」文化勲章受賞
東京の本郷(文京区)生まれ。姉の夫エドワード・ガントレットから洋楽の影響を受けた。
明治41年東京音楽学校(現東京芸術大学)卒業。三菱財閥岩崎小弥太男爵の援助を受けドイツベルリン音楽学校…【詳しく見る】
(やまとたけるのみこと)
紀元二世紀頃
日本古代史上の英雄・茅ヶ崎市芹沢腰掛神社に足跡
第十二代景行(けいこう)天皇(AD71~AD130)の皇子で、第十四代仲哀(ちゅうあい)天皇(AD192~AD200)の父とされている。
景行天皇の命により、西方(九州)の蛮族であった熊襲(くまそ)征討から帰るとすぐに東方(関東方面)の…【詳しく見る】
(よろずてつごろう)
1885(明治18年)~1927(昭和2年)
日本の洋画界の先駆者
岩手県東和賀郡(現在の花巻市)の商家(回漕問屋)に生まれた。東京美術大学校(現東京芸術大学)を経てフォーヴィスム(野獣派)・キューヴィスム(立体派)を独自に習得。茅ヶ崎時代に次第に南画への傾斜を強め、油彩と並行して水墨画なども描いている。…【詳しく見る】