森田 芳光(もりたよしみつ)
映画監督 脚本家 『失楽園』で日本アカデミー賞優秀監督賞
1950(昭和25年)
~2011(平成23年)
1891年に『の・ようなもの』で、長編映画監督デビュー。以降、シリアスなドラマから喜劇、恋愛映画、ミステリアス映画と幅広いテーマを意欲的に取り扱い、話題作を数多く発表する。
母親の実家のある茅ヶ崎に生まれ、東京都渋谷区円山町で育つ。日本大学櫻丘高校では新聞部に在籍。映画評を担当することになり見た『ドクトル・ジバゴ』に感動し、映画の魅力に開眼。その後、日本大学芸術学部に進学し、自主映画制作を開始。学生時代は全共闘に参加するほか、落語研究会に所属(先輩に高田文夫、古今亭右朝がいた)。日芸を卒業後、26才の時に友人の紹介で三沢和子(森田監督作品のプロデューサー)とクリスマスの日にめぐり合い、軽井沢の協会で結婚式を挙げる。
1978年、自主制作で監督生活をスタートした作品『ライブ・イン・茅ヶ崎』で、第2回ぴあフィルムフェスティバル入選。1982年 、『の・ようなもの』で、第3回ヨコハマ映画祭作品賞、新人監督賞。1984年 『家族ゲーム』で第26回ブルーリボン賞監督賞他、多数受賞。1986年 『それから』で第31回キネマ旬報賞日本映画監督賞他。1987年 『そろばんずく』と『ウホッホ探険隊』第10回日本アカデミー賞優秀脚本賞他。1997年 『(ハル)』で第20回日本アカデミー賞優秀脚本賞他。1998年 『失楽園』で、第21回日本アカデミー賞優秀監督賞。2004年 『阿修羅のごとく』で第46回ブルーリボン賞監督賞、第27回日本アカデミー賞優秀作品賞、最優秀監督賞。と、数々の作品で賞を取ったが、急性肝不全のため61歳という若さで死去。
『ライブ・イン・茅ヶ崎』は、森田がメジャーデビューする前の上映時間85分の作品。主人公の青木は茅ヶ崎の若者。友人たちと気ままに故郷で暮らしている。東京からガールフレンドの三沢がきて仲間を紹介したり、街を案内する。茅ヶ崎の風景をバックに、若者たちの姿をドキュメント風につないだ映画である。片岡義男氏が絶賛したという話があり、たちまち話題の映画になる。拙いがパワーを持った映像が展開される。
茅ヶ崎なので、海やサーフィン、サザンの歌が流れるイメージを連想するが、この映画は萩園で農業をする青年が主人公である。冒頭は浜降祭のシーンで始まり、「新日本紀行」のテーマソングが流れ、だらだらした若者たちの日常が流れ、紆余曲折の映像が流れた後、再度、浜降祭のシーンに戻る。1978年当時の茅ヶ崎駅も写っており、貴重な記録にもなっている。
森田監督の最後の8mm映画であり、商業映画へのステップアップとしての途を開いた作品である。